想像ドロップ

憧れは、恋から遠く。

モヤモヤの内訳

 

 

久しぶりの更新になってしまった。

たくさんの下書きはあったのだけれど、それらは人様に見せられるようなものではなく(そもそも見られているのか)更新できずにいた。

しかしそれ以外にも更新できなかった理由がある。それは最近わたしがTwitterのヲタ垢にあまり浮上ができずにいる理由でもある。悩んでいる、なんて言葉で表すのは大袈裟なようだけれど、自分の中ではかなり重大な悩みであるし、ジャニヲタにとっては死活問題になるような悩みなのである。

このモヤモヤした悩みを抱え始めてもう1ヶ月以上が経過した。ジャニヲタでいること、ジャニーズが好きなことはあくまでも趣味の範疇だ。「趣味 意味」とGoogle先生で検索をかけて見ると『専門としてでなく、楽しみとして愛好する事柄』と定義付けられていた。わたしは今、「楽しみとして愛好する事柄」で悩んでいることになる。本末転倒のお手本のようである。もうそれは国語辞典の本末転倒の例として挙げられてもいいくらいの本末転倒ぶりである(謎)。

この「本末転倒」な状況を打破するべく、わたしはいつどのようにしてこのような悩みが生まれ、どのように進行していったのかを整理して書き起こしてみることにした。文字にして整理するという原始的な方法であるがこうでもしないとこのモヤモヤした悩みは解決されそうにない。

 

 

 

すべての始まりは2017年7月22日である。

なぜこんなにもハッキリと悩みが生まれた日付を覚えているのかというと、この悩みが生まれたのがコンサート中であるからだ。私は前日の21日夜から夜行バスに乗って東京へ向かった。Jr担の中で「夏のかけらを 肌に感じて EXの扉を 足で開けた」ともっぱら歌われるように(?)、私の東京行きの目的は夏の風物詩ともいえる、EXシアターで行われる「~君たちが~KING'S TREASURE」への参戦である。「今年も夏が来たなァ」とJr担なら誰しもが思うであろうことを私も思いながら六本木に向かった。実は、この22日朝公演は地元の永瀬くん担の友達が誘ってくれたことで行けることになった公演だった。私はこの公演を応募もしていなければ、どうしても行きたいと言ってチケットを探したわけでもない、言うなれば「たまたま運良く」入ることになった公演だった。わたしは既に8月5日、6日公演のチケットを所持しており、この公演に誘って貰わなければEXという名の「季節の扉」をぶっ放して開けることができないわけでもなかったのである。「一緒に行こう」と誘って貰ったとき、二つ返事で「行く行く」と言ったが、怒涛のチケット代や交通費、ホテル代の振込をし、支出が増えるにつれて「行く行く」と簡単に言ってしまったことへの後悔もあった。失礼な話である。人気公演で、入りたくても抽選で溢れてしまった女の子たちがたくさんいることが頭から綺麗に抜けていた。クズ中のクズだ。担当である萩谷慧悟くんのいない公演に入った経験が無かったので、どのように楽しんだら良いのかもよく分からなかった。

けれど、六本木に着くとやはりそこはクソDDJr担だ、私は浮き足立った。「萩谷くんいないけど、藤井くん可愛いし楽しみ」と今夏の初EXシアターを楽しもうと意気込んでいた。

早く着きすぎたのが功を奏し、グッズ売り場はさることながら屋上自体に人がほとんどいなかったので、早速お目当てのLove-tuneのペンラを購入した(お目当てとは言ったものの、フォントが気に入らなかったので買う気はほとんどなかったのだが、あまりにも空いていたので買ってしまった)。8月5日と6日の為である。今日、今から入る公演に出演するMr.King・HIHI Jet・東京B少年のペンライトは買わなかった。担当の萩谷くんのいないユニットのペンラを買っても今後、使うことはないだろうと思ったからである。

 

そこから、新幹線で優雅に現れた永瀬くん担と合流し(私は夜行バス)、うだるような暑さと着飾った可愛い女の子たちので溢れかえる屋上で整理番号順に並んだ。4桁台だったので待ち時間が長く、したたる汗で必死の思いで作った顔が崩れ、自分の顔は生ゴミと化したが、そんなこと気にしていられない。なんてったってEXシアターである。その場の雰囲気を楽しんだ。写真をバシャバシャ撮りまくった。JK並にsnowをキメた。「ああ夏だ、今年も夏が始まった」としみじみしていたら、意外とあっという間に開場の時間になった。早い番号はしっかり番号順に呼ばれるのだが、遅い番号の場合10番単位やそれ以上で呼ばれる。ただでさえ暑い上に、大量のジャニヲタという面倒くさい生き物を采配しなくてはならない、スーツを着用したお兄さんたちのイライラはMAXで、遅番の入場はカヲスである。

そんなこんなで無事に入場し、左手にMr.King・HIHI Jet・東京B少年の13人の手書きの言葉と名前が書かれてある布のようなものがあった。隣で永瀬担が「字…汚ナッ」と呟いていよいよ夏の扉が開いた。ゾロゾロと階段を降りると長机にHiHiB少年の写真集のフライヤーが置いてあった。保存用のファイルを持っていなかった私は貰わずに「予約どうしようかな〜」と考えると同時に「Love-tuneも出さないかな〜」と思ったりした。

再び階段をゾロゾロと降りていく。番号が遅いため前のドアからはもう入れなくなっていたので、後ろのドアから入場した。会場は一面ヲタクだらけ、もはやそこはヲタク洋、海であった。前に行くのは無理だと諦め、今年から導入された会場全体を囲む外周のど真ん中、後ろから2番目の場所を確保した。私は背が割とある方(168cm)なのでステージも問題なく見える。なんせEXシアターは狭い。スタンディングはかなりの密着度なのでとても暑いがそんなこと気にしていられない。以前から持っていたキンブレと愛用の双眼鏡、人様に見せる様ではないが思い出は書き残しておきたいタイプなのでメモとペンを用意して準備完了。Love-tuneと比べて明らかに年齢層の低いの可愛いファンの女の子たちのなかで、ひたすら目立つ背丈と全身真っ黒の服に包まれた私、そして誘ってくれた永瀬担(173cmでモデルのように細い)は完全に浮いていた。隣の、おそらく中学生であろう可愛らしい女の子に明らかにビビられていたのが切なかった。

 

ステージのモニターには、映画honeyで主演を務める平野紫耀くんのメイキングが映し出されていた。平野くんの所属するMr.Kingが出演する公演である。平野くん担以外も見とれるその美しさに色めき立つ会場。雨に濡れる赤髪の平野くんは本当に綺麗で、アンニュイで、私は息を飲んだ。

 

 

 

そうこうしていると照明が落ちて公演が始まった。

 

 

 

そこからの記憶は曖昧だ。

いつもたくさんのメモを取り、あとから振り返ってニヤニヤしながら、おもむろにTwitterのヲタ垢に清書として書き込んでいくのが帰りのバスの楽しみになるのだが、今回はメモが極端に少なかった。フォロワーさんの担当であるJrの良かった部分や立ち位置や上下どちらがいいかを、いわば業務的にメモするので精一杯だった。それさえもまともにできなかったと言ってもいいと思う。

 

 

 

とにかく初めての経験だった。

初めての感覚だった。

 

 

 

藤井直樹くんを見た瞬間、

わたしの全部が流れ落ちて、

すべり落ちて、感情が麻痺した。

 

気がついたら泣いていた。

予兆も何も無い、気がついたら藤井くんの姿が霞んでいた。

彼のパフォーマンスがわたしのぜんぶをかっさらっていったのが分かった。担当である萩谷くんのことも彼を見た瞬間忘れていた。それくらいわたしは彼の虜になった。夢中で双眼鏡で藤井くんを追った。外周に来た時は夢中で藤井くんのすべてを目に焼き付けようとした。夢中になりすぎて声さえ出なかった。藤井くんは笑っていた。あの人懐っこい、優しそうなくしゃりとした笑顔で。客席に手を振るとしも、ファンサをするときも、踊るときも。かっこいい曲のときは真剣な表情で体全部で曲の世界観を表現しようとしていた。「一生懸命」とは藤井くんの為の言葉なのかと思うほど、藤井くんはひとつひとつの動きをとても大切にしているように見えた。ひとつひとつの動きに、藤井くんなりに見出した意味みたいなものが乗っている気がした。そして、1分1秒余すことなく「ジャニーズアイドル 東京B少年 藤井直樹」を表現していた。こんなアイドルに出会ったのは初めてだった。と言うのは良くないのかもしれないけれど、少なくとも私の主観ではそう感じた。

これまでも少クラやジャニアイやJr祭りで彼を見ていたけれど、そこには萩谷くんという担当がいた。萩谷くんを双眼鏡で追い、萩谷くんの団扇を持ち、萩谷くんのネームプレートを入れたペンラを持ち、萩谷くんの所属するLove-tuneを見ていた。藤井くんはずっと気になる存在であったけれど「藤井くんの団扇を持ちたい」とは思わなかった。東京B少年はすごくフレッシュで可愛い、将来性溢れる素敵なユニットだと思っていた。けれど、春のシアタークリエの公演が当選した時、チケットはすぐに友達に譲った。それくらいの感情だった。

 

 

 

 

でも、あの日から、どうしたらいいのか分からなくなった。

 

 

すごく楽しかったからだ。

藤井くんを見ているのがすごく楽しかったからだ。

 

 

その日から、Twitterで呟くことは萩谷くんやLove-tuneに関することよりも藤井くんや東京B少年に関することが増えていった。普段はあまり追わないレポも藤井くんのいる公演は追うようになった。画像フォルダはその日を境に藤井くんの写真ばかりになった。過去に買ったアイドル誌を漁って藤井くんを探した。録画してあった少クラをたくさん見直した。ジャニショで藤井くんの写真を買った。

 

 

 

Love-tuneの公演までの2週間、私は藤井くんのことばかり考えていたと思う。誰にも言わなかったけれど、萩谷くんを考た時間よりも圧倒的に藤井くんを考えた時間の方が長かった。藤井くんに夢中になっていた。

 

Love-tuneの公演には運良く2回入ることができた。1日目はスタンディングでとても見やすい位置で見ることができたし、一緒に入ってくれたフォロワーさんは直前でドタバタしながらのお誘いにも関わらず丁寧に対応してくださる本当に優しい人で、心置き無く楽しめた。萩谷くんもLove-tuneもすごくかっこよかったし素敵だった。2日目は指定席の最前列で全体を座って見ることができたのでダンスやフォーメーションを見ながらメモを取ったりして楽しんだ。一緒に入ってくれた子はLove-tuneをあまり知らなかったけれど、厳しい意見と共に良かった部分もたくさん挙げてくれてすごく嬉しかった。萩谷くんが、自分で考えた手振りをレクチャーしてくれる姿がとても可愛くて好きだなと思った。

 

 

でも、頭の隅で藤井くんの姿がチラついた。

そして比べていた。

 

「藤井くん居た公演の方が楽しかったなあ」

と思ってしまっていた。

2公演も入らせて貰っていて、その上恵まれた席で見ることができているのに、こんなことを思う自分が嫌だった。萩谷くんをずっと応援し、時にはネガティブな事も思うし言ったりするけれど、やっぱり心の奥底ではデビューを願って、デビューは実現すると信じていたはずだったからだ。それはこれからずっと変わることがないと思っていたからだ。萩谷くんの他にもかっこいいとか応援したいとか思うJrはいる。けれども担当を名乗れるくらい、自信を持って「好きだ」と言えるアイドルは萩谷慧悟くんだけだと思ってきたからだ。

 

 

 

けれど、7月22日を境にわからなくなった。

8月6日のLove-tune公演でもっとわからなくなった。

傍からみたらこんな悩みはバカバカしくて笑ってしまうようなものだと思う。けれど私にとってはとても重要なのである。わたしは、掛け持ちができない性分だ。複数人に同じ重さの愛情を持てないし、同じお金を出すことはできない。だからと言って、私は掛け持ちをしている人のことを嫌だとか有り得ないだとか、そういうネガティブな目で見たことは一度もない。掛け持ちをしている人にそれぞれの自担の好きなところを聞いたり、共通項を聞いたりすることはむしろ楽しくて興味深い。しかし、私自信は、掛け持ちができないタイプのヲタクだ。ただそれだけのことだ。

 

ジャニーズのファン、即ちジャニヲタにおける「担当」という制度はすごくシビアで、しかし曖昧でとても難しい。はてなブログでも「担当制度への疑問」「担降りしました」「担当が増えました」などの「担当」について書かれた記事が数多く存在する。それらのどの記事を呼んでも、「担当」の定義に共通項はなく捉え方は人それぞれだ。私は、「担当」について書かれた記事をたくさん読んだ。

色々な人の書いた記事を読んでいくにつれて、考え方や応援の仕方は「人それぞれ」でいいんだなあと感じるようになった。ジャニーズのタレントが個性豊かで多様性に溢れるように、ファンだって年齢や出身が様々であるように、色々な考え方があって普通なのだ。わからないなら、わからないでいてもいいのだ。「担当」とか「推し」とかそんなことで迷わなくたって悩まなくたっていい。考え方は人それぞれで、好きの形も人それぞれ。自分が楽しく応援することができればそれが1番素敵なのだ。

たくさんいる仲間の(だと勝手に思っている)ジャニヲタさんのはてなブログを拝見して、救われた。自分がモヤモヤと悩んでいる間も、彼らは必死に努力し、過密スケジュールをこなし、プライベートもプライバシーも犠牲にして、精一杯輝こうとしている。輝きを保ち続けるために、不安定な立場で必死に自分の居場所を見出そうとしている。私が部活に遊びに勉強…に明け暮れていた中高生時代を彼らはすべて捧げているのだ。青春のすべてをジャニーズに捧げているのだ。人とは違っている、特別で華やかな青春でありながら、その裏には多くの苦悩があると思う。色々な意味で「特別」である彼らは色々なものに束縛されながら生きている。それでも彼らは舞台に立つことをやめない。

 

このままずっとモヤモヤと悩み続けていたら彼らとの距離(物理的なものではなく)はどんどん開いていってしまうと感じた。趣味の範疇であることで悩んで立ち止まっている時間があったら、自分自身を高めるために行動したほうがずっといいと思った。彼らが頑張るように、自分も頑張る。頑張る場所も目指す場所も交わらないけれど、彼らに負けたくない。わたしが、萩谷くんの担当になったきっかけの一つに、彼を見て「負けられない」という感情を持ったということがある。萩谷くんを好きになった時も、EXシアターで藤井くんを見た時と同じように負けたくないという、「初めての感情」を感じたことを思い出した。

萩谷くんが頑張っているから頑張れた日がたくさんあった。萩谷くんのパフォーマンスを見ることが決まれば、それまで頑張ろうと思えた。それはLove-tuneの単独コンサートに当選したときも、湾岸のLove-tune公演に行けることが決まったときも変わらなかった。

 

やっぱり、自分は萩谷くんが好きだ。萩谷くんの姿が、日々の生活を頑張る糧となっている。

けれど、それに匹敵するくらい藤井直樹くんも好きだ。藤井くんの笑顔とダンスを見ると頑張れる。

 

 

萩谷くんと藤井くん、二人に向けられている「好き」のベクトルは異なる。上手く表現することはできないけれど、それぞれへの想いはちょっと違っている。

そんな曖昧な感じもいいよなあ、と、ぼんやりとした考えに行き着いた。だってどっちも好きなんだから仕方ない。ふたりへの「好き」という感情は少しずつ違うのだから仕方ない。違う「好き」なんだから別にこれは悪い事じゃない。そう思った。

 

Jr情報局の好きなタレント名の欄は「萩谷慧悟」のままだ。変更はしなかった。担当は誰?と聞かれれば「萩谷慧悟」と答える。

藤井直樹くんも、もちろん大好きだ。あの日、私の心を強く動かした。藤井くんをこれからもずっと応援していきたいと思っている。担当になる日も来るかもしれないし、掛け持ちする日も来るかもしれない。好きなタレント名が「藤井直樹」になる日もくるかもしれない。それでいいと思う。自分の気持ちに任せればいいと思う。

どちらかひとり好きでいることを諦めるのは違うなと考えるようになってから気分が軽くなった。わたしが悩んでいたのは「どちらかひとりを、諦めなくてはならないこと、絞らなくてはいけないこと」だったんだと気がついた。しかし、その必要はなくて、自分なりに萩谷くんと藤井くんを応援すればいいんだという結論に至った。今、担当が萩谷くんだからと言って藤井くんのことを応援してはいけないわけではない。萩谷くんではなく藤井くんの担当でいたいと自分が感じるときがきたら、萩谷くんを降りて藤井くんの担当になればいい。ジャニヲタには自由がある。誰を選んでも、いつヲタクをやめても、どの現場に行くかも、それはすべて個人の自由だ。

そう思った途端に、なんだか身が軽くなって楽しくなってウキウキしてきた。今すぐ帝国劇場に飛び込みたい気分になった。萩谷くんと藤井くんが一緒の舞台に立っているなんてすごく素敵なことだ。大好きな2人が同じ舞台で、ひとつの大きな夢を築き上げている。わたしは、EXシアターが始まる前の、夏が始まる前の、あのウキウキした感覚に苛まれてた。朝晩は少し肌寒く感じることもあるこの季節に、わたしは、まるで夏のような高揚感を感じている。

 

 

 

 

 

だからどうか、特別登録、頼むから、わたしを少し遅めの夏に連れて行ってください。この高揚感のまま帝国劇場に飛び込んだら、きっと今までで1番素敵な気持ちで2人を見ていられる気がするから……お金ないけど!!!!!当たらないと思うけど!!!!!以上!!!!!